インドの仏教最高位の日本人僧侶の佐々井秀嶺さんをご存じでしょうか?日本ではあまり知られていないお方かもしれませんがインドでは1億5千万人もの仏教徒の民衆から支持されている方です。
佐々井秀嶺さんはインド渡ってから日本に帰ってきたのは数回だと言われています。なぜ佐々井秀嶺さんはインドに行ったまま日本へ帰ってこないのか以下より見ていきましょう。
佐々井秀嶺がインドにいるのはなぜ?
佐々井秀嶺さんはもともと日本人の僧侶であり、1935年生まれ岡山県生まれ。25歳の時に高尾山薬王院にて得度。その後タイに留学して32歳でインドに渡ってから現在もインドにいます。
以前、佐々井秀嶺さんについてのプロフィールをまとめた記事がありますので参考にご覧頂けたらと思います↓
佐々井秀嶺さんがインドに居続ける理由はインドに渡ってから約1年後の32歳の頃に不思議な体験をされたのとインドに偉大な人物の存在の影響がるようです。
当時、佐々井秀嶺さんは日本へ帰ってくることになっていたのですが、いつも通り瞑想をしていたら肩にガツンと衝撃が走り目を開けたようです。
そしたら、いわば仙人のような人物が立っており「あなたは誰ですか」と問うとその仙人らしき人物は「我は龍樹なり」(りゅうじゅ)と言われたそうです。さらに「汝、速やかに南天龍宮城へ行け、南天龍宮城は我が法城なり、我が法城は汝が法城、汝が法城は我が法城。汝、速やかに南天龍宮城へ行け。南天鉄塔はまたそこにあらんかな」と告げられたようです。
龍樹とはインドの僧で2世紀に生まれた人物で日本で伝えられているのは大乗仏教八宗の祖師として伝えられている人物です。
佐々井秀嶺さんは仙人に出会った不思議体験は龍樹からのお告げだと考え、日本への帰国を止めナグループ(龍宮)へ向かう事を決意されました。
この体験を機に44年間今なおインドに国籍を持ち活動を続けている佐々井秀嶺さんです。
かつて不可触民出身であったアンべーカル博士(1891年~1956年)が不可触民の解放に生涯を捧げた人物であり「差別のない仏教へ改宗こそが不可触民を解放する最善の手段だ」と活動をされており、アンドールカル改宗した2ヵ月後に死去されました。
佐々井秀嶺さんはアンドールカルが死去してから12年後に龍樹のお告げを聞きナグプールへ足を運び、アンドールカルの活動を引き継ぐことが佐々井秀嶺さんの使命だと感じインドでの活動を続けているようです。
佐々井秀嶺に弟子はいるの?
佐々井秀嶺さんには側近に竜亀さんという方がいらっしゃいます。
現在、お二人はインドでの活動を行っておりインドの何千万人、何億人という人々を救う活動をされています。
竜亀さんはもともとは広島の宮島(弥山)でおにぎり屋さんを竜亀さんと他2名の方と2年間ほど経営されておりました。
佐々井秀嶺さんとの関係はおにぎり屋さんを経営している仲間の1人から佐々井秀嶺さんが体調不良で身の回りの世話が出来る方、食事係等の役が出来る方を募集しているという話がきっかけで弟子になられたようです。
他にも塚原大さんという日本の伝統工芸を活用したデザイン会社を経営されている若き社長22歳の方がどうしても佐々井秀嶺さん話を聞きたいという事でインドへ足を運び佐々井秀嶺さんと実際に会い急遽、出家されることになりました。
塚原大さんは会社の社員の幸せと会社の存続とのバランスで悩んでおり本質を探すためにインドへ足を運び佐々井秀嶺さんに会いに行きました。
塚原大さんのコメント「佐々井さんがインドの街に与えたエネルギーによって治安が良かったり、綺麗だったりなど私も同じようように誰かにエネルギーを与えられるようになりたい」という意気込みで出家されました。
今後のご活躍を応援したいです(^^♪
佐々井秀嶺 インドで世界遺産クラスのマンセル遺跡を発見!
佐々井秀嶺さんは龍樹のお告げによって世界遺産クラスのマンセル遺跡を発見されました。
日本の僧侶が高僧との出会いにより発見した遺跡は仏教界を揺るがすほどの大発見でした。
Googleマップのストリートビューと360°ビューでマンセル遺跡を近くで見ることが出来ました↓
佐々井秀嶺 インドに笑う 世界が驚くニッポンのお坊さんのプロフィールを紹介!
著者、白石あづささんが直接インドへ訪問し佐々井秀嶺さんに密着取材をした貴重なドキュメントが一冊の本になっております。佐々井秀嶺さんの事をもっと知りたい!という方はご覧ください↓
佐々井秀嶺 ジャイビーム!配信 インドとぼくとお坊さん
インドで活動されている佐々井秀嶺さんに密着した9日間のドキュメンタリー映画のご紹介。佐々井秀嶺さんの破天荒な僧侶姿からお茶目で可愛らしい一面など9日間で見えた佐々井秀嶺さんの素顔とは….気になる方は予告編をご覧下さい↓
本日も最後までお読み頂きましてありがとうございました。